2024年2月22日
お知らせ
御城印(柏久保城)の販売について
伊豆箱根鉄道の修善寺駅では、柏久保城の御城印(2種)を3月1日より販売します。
販売開始日
2024年3月1日(金)
販売場所
修善寺駅
販売価格
1枚300円(税込)
制作・監修
静岡県立伊豆総合高校(マーケティング履修生、創作部書道)、修善寺燕舎、伊豆市産業振興協議会
協力
狩野城ガイドクラブ、修善寺燕舎、(有)盛田屋
後援
静岡古城研究会
その他
伊豆市内では、「柏久保城」の他に「丸山城」「大見城」「狩野城」の御城印も販売しています。詳しくは、伊豆市観光情報サイトまたは、こちらのPDFをご覧ください。
お問合せ
伊豆市産業振興協議会(0558-72-7007)
柏久保城と伊勢宗瑞(北条早雲)
柏久保城は、修善寺駅の東側に位置し、伊豆市柏久保の愛宕山(標高180m)の山上にある山城です。山頂から富士山と狩野川の絶景が望める景勝地です。最高所に愛宕神社の小祠が祀られており、そのあたりが柏久保城の本曲輪とされています。城跡にはこの本曲輪や周囲のいくつかの曲輪、堀切、土塁の遺構が残っています。また、北側・東側に出曲輪状の跡が見られます。
地元の言い伝えでは、元々は狩野氏の出城であったところ、明応2年(1493年)、当時興国寺城の城主であったとされる伊勢新九郎盛時(出家して宗瑞、後にいう北条早雲)が、堀越御所の足柄茶々丸を滅ぼし伊豆制圧を果たすための足がかりとして狩野氏から奪った城だといわれています。当時狩野氏は茶々丸を擁護して早雲に敵対する最大勢力でした。「北条五代記」では、早雲の伊豆制圧は1ヶ月のうちに成ったとされていますが、実は5年に及ぶ長期の戦いが続いたというのが最近の定説です。明応6年(1497年)、狩野勢が柏久保城に攻め寄せましたが、早雲方についた大見三人衆が撃退したとされています。早雲の伊豆平定が成ったのはその翌年でした。柏久保城は、狩野氏が早雲に敗れる契機となった場所といえます。山頂の北側には「新九郎谷」、南側には「地獄沢」の地名が残っており、当時の激戦を物語っています。